昔話に出てくる「わらしべ長者」はたった1本のわらしべを元手に、物々交換を積み重ねて大金持ちになった伝説上の人物です。一見すると荒唐無稽にも思えるお話ですが、わらしべ長者の昔話には現代のビジネスにも通じる成功の法則が隠されています。
わらしべ長者が金持ちになれたのはどうしてなのか、ビジネスの観点から物々交換の可能性について考察してみました。貧乏暮らしからなかなか抜け出せないという人でも、この記事を読めば成功につながる突破口が見つかります。
わらしべ長者とは?
昔話のアニメや絵本でもおなじみの「わらしべ長者」は、平安時代に成立した『今昔物語集』や鎌倉時代の『宇治拾遺物語』に古い形が見られます。さまざまなバリエーションがある中で最もよく知られているのは、貧乏な男が物々交換で大金持ちになるというストーリーです。交換を重ねるたびに男が手にするものの価値が高まり、最終的には屋敷を手に入れて裕福な暮らしを送れるようになります。
男が道で転んだときにたまたま拾った1本のわらしべが、金持ちになる最初のきっかけとなりました。男は目の前を飛び回っていたうるさいアブを捕まえてわらしべに結びつけてみたところ、近くで泣いていた男の子がこれを欲しがります。男の子の母親がミカンと交換してほしいと言うので、迷った末に男は交換に応じました。
男はさらに歩いていった先で喉の渇きを訴える商人と出会い、ミカンと反物の交換に応じます。反物というのは和服を作るのに使う布地のことで、昔は布地のまま商人が売り歩いていたのです。ミカンと反物では商品価値が釣り合いませんが、水を飲めずに苦しんでいた旅の商人にとってミカンは商品の反物に替えてでも欲しい品だったのでしょう。
次に男は馬が弱ってしまって動けないでいた武士の家来と出会い、捨てられようとしていた馬と反物を交換してもらいました。水を飲ませて元気を取り戻した馬に乗って旅を続けた男は、旅に出ようとしていた屋敷の主人と出会います。主人は馬を借りたいと申し出て屋敷の留守を男に頼み、3年経っても自分が帰って来なかったらこの屋敷を譲ると約束しました。主人は3年を過ぎても戻って来なかったため、貧乏だった男は1本のわらしべを元手にして屋敷を手に入れ金持ちになったというお話です。
現代版わらしべ長者
わらしべ長者とよく似た説話は朝鮮半島やインドネシア・ミャンマー・インド・ブータン・ヨーロッパなど、日本以外の国々にも広く分布しています。世界でも昔話や伝説としてポピュラーなストーリーのパターンだったせいか、海外では現代版わらしべ長者と言われる事例も相次ぎました。
その中で最も有名なエピソードは、2006年に大きな話題を呼んだカイル・マクドナルドというカナダ人の例です。彼は赤いペーパークリップから物々交換を始め、最終的には一軒家と交換するという目標をネット上に発表しました。物々交換の経緯はブログ等に逐一公表され、当時はテレビやラジオなどのメディアでも報じられるほどの注目を集めたものです。
1個のクリップがペンやドアノブ・発電機・スノーモービル・車などと次々に交換され、途中で旅行やレコーディング契約・著名ロックスターと半日一緒にいられる権利・映画に出演できる権利など、物品以外の価値とも交換されていきます。
カイル・マクドナルド氏は最初の発表から1年後に目標通り、カナダ国内にある一軒家を手に入れました。まさに現代版のわらしべ長者と言える成功例ですが、わずか1年で目標を達成できたのはインターネットのおかげです。
日本でも同様の試みは以前から見られ、コロナ禍に揺れた2020年には大阪のNPOが困窮者支援団体への寄付を目的とした物々交換を呼びかけました。100円ショップの赤い糸からスタートした物々交換の経緯については、2020年12月16日放送のNHKクローズアップ現代+でも紹介されています。
わらしべ長者が金持ちになれた理由
最古の原型は平安時代にまでさかのぼる遠い昔のお話ですが、わらしべ長者には現代のビジネスにも通じる成功の法則が隠されています。わらしべ長者が物々交換を積み重ねて立派なお屋敷を手に入れ、金持ちになれたのは単なる偶然や幸運だけの結果ではありません。
確かに運も味方にしていた面はあるにせよ、「幸運は用意された心のみに宿る」という格言もあります(フランスの細菌学者・パスツールの言葉)。わらしべ長者になった男は幸運を受け入れる心の準備ができていたからこそ、与えられた幸運を最大限に活用して成功を手に入れられたのです。
毎日真面目に働きながら貧乏だったこの男は、貧乏暮らしから抜け出そうとして観音様に願をかけました。そこで「最初に手に触れたものを大事に持って旅に出よ」というお告げをもらったわけですが、観音様に願をかけるほどの強い上昇志向が成功への原動力になったとも言えます。
無価値を価値に変える発想力
わらしべ長者は単に上昇志向が強い人物というだけでなく、取るに足らないものを価値に変える斬新な発想力の持ち主でもありました。道端に落ちていた1本のわらしべは、そのままでは1円の価値もありません。わらしべ長者はこれをアブと結びつけ、子供が喜ぶ遊び道具を生み出したのです。
現代のビジネスにおいても異質な2つのものを結びつけることで、新たな需要が生み出された事例は少なくありません。わらしべ長者の場合は最初のアイデアが秀逸だったため、ほとんど無価値に等しい1本のわらしべがミカンと交換されて無から有が生み出されたのです。
現代のスーパーではミカン1個が数十円程度で買えますので、これだけでは貧乏から抜け出すのにまだまだ遠い状態です。わらしべ長者はこのミカンを自分で食べることをせず、喉の渇きに苦しんでいた商人に与えました。ミカンで喉を潤せると思った商人は採算度外視で、上等な反物との交換に応じます。現代の貨幣価値で数十円に過ぎないミカンは、脱水状態にあった商人にとって数十万円の反物にも匹敵するほどの価値があったのです。
わらしべ長者の物々交換もここで大きな飛躍が見られ、ほぼ0円から数十万円相当にまで高騰しました。たとえミカン1個でも「資産」と考えれば、自分の持つ資産を投じるのに最適なタイミングと相手を選ぶことで、資産価値を何千倍何万倍まで高めることは可能です。
ビジネス成功に伴うリスク
このへんは投資のノウハウにも応用できそうなビジネスのセンスですが、わらしべ長者の能力はこれだけにとどまりません。乗ってきた馬が弱ってしまって見捨てざるを得ない状況に陥っていた武士とその従者に目をつけ、反物と馬を交換するという冒険に打って出ます。馬は今にも倒れそうなほど弱っていたのですから、下手をすればせっかく手に入れた反物を無駄にしかねない危険な賭けです。
しかしながらわらしべ長者は馬が弱っていた理由を見抜き、水を与えることで見事に元気を回復させました。売れなくなった商品でも改善すべき点を改善すれば、まだまだ復活を遂げる可能性は秘められています。自動車も電車も飛行機もなかった時代は、生きた馬が貴重な乗り物でした。馬の持つ価値は現代と比べものにならないほど高く、当時としては現代の高級車1台分以上に匹敵する財産です。
わらしべ長者はこの時点で満足して物々交換を打ち切るという選択肢もありましたが、最後に馬を必要としていた人と出会いました。その人は何か特別な事情があったのでしょう。馬を借りるのと引き換えに屋敷の留守番を依頼し、3年経っても自分が戻らなければ屋敷を与えると言い残して旅立ちます。もしも3年以内に主人が帰ってきたら、男はわらしべ長者になれないところでした。大きなリスクを取って馬を貸し、結果的に屋敷を手に入れるという最大のリターンを手に入れたのです。
現代のビジネスにおいても大きなリターンを得るには、必ずどこかでリスクを引き受ける必要があります。可能な限りリスクを回避しながら既存のレールに沿ってビジネスを展開する安全運転では、大きな見返りを期待できないのがビジネスの原則です。
わらしべ長者に学ぶビジネス成功術まとめ
わらしべ長者は幸運を味方につけて富者となった稀有の成功例だったからこそ、昔話の形で現代にまで語り継がれてきたのだと言えます。その陰では同じように物々交換を試みながらどこかで失敗し、富者になれないまま終わった無数の人たちが存在するのかもしれません。
誰でもこの方法を実践すれば必ずわらしべ長者になれるという再現性の高いノウハウはありませんが、いつ訪れるかわからない幸運に備えて常に心の準備をしている人は、そうでない人より成功確率が高くなります。その上で他の人が考えつかないアイデアで自分の持つ資産の価値を高め、最適なタイミングで最適な相手に取引を行うのがビジネス成功の秘訣です。
時には大きな見返りを狙ってリスクを冒す場面も出てきますが、常に相手を思う気持ちを持っていれば、その思いはいずれ自分に返ってきます。ビジネスだからと言って自分(自社)の利益ばかり考えず、相手の立場に立って物事を考える姿勢も必要です。わらしべ長者においても相手を思いやる気持ちがあればこそ、価値が大きく飛躍するような物々交換が次々と実現されていったのだと言えます。