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働かないアリに意義がある理由とは?人間社会とニートの関係を考察

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昆虫学者の長谷川英祐氏が2010年に出版した『働かないアリに意義がある』は、2ch創設者のひろゆき氏も推薦する科学書のベストセラーです。アリの巣を観察してほとんど働かないアリが2割もいる事実を確認し、その存在意義について解説した本書は経済界にも大きな衝撃を与えました。ゆるいイラストで働かないアリの生態を楽しく学べるコミックエッセイ版も、2012年の出版以来人気を集めています。

このたび本書がヤマケイ文庫から復刊されたのを受け、人間社会のニートと働かないアリとの共通点について考察してみました。会社でする仕事がないことに悩んでいる社内ニートの人も、今回の記事は必見の内容です。

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働きアリの2割は「働かないアリ」

アリの巣のイメージ

イソップ童話の「アリとキリギリス」でも描かれたように、アリは働き者の昆虫というイメージがあります。実際に道端や公園などで見かけるアリはいかにもよく働いているように見えますが、巣の中にいるのは働き者のアリばかりではありません。『働かないアリに意義がある』の著者・長谷川英祐氏がアリの巣を観察したところ、瞬間的には働きアリ全体のおよそ7割が何もしていないという衝撃の事実が判明しました。

本書では働きアリの個体差をわかりやすくするために、AからCまでの3つのグループに大きく分けています。働きアリAは巣の中で幼虫や女王アリの世話をしたり巣を修繕したり、外に出てエサを探したりして絶えず忙しそうに働いているアリです。働きアリBは働いたり働かなかったりするアリで、休んでいる時間も結構あります。働きアリCは普段ほとんど働かず、怠けてばかりいるようにしか見えないアリです。

1カ月ほど観察すると、働きアリ全体の2割ほどは仕事と言える仕事をほとんどしていないことがわかりました。普段はほとんど働かないこの2割のアリも、巣に緊急事態が発生したり他のアリが疲れて働けなくなった場合には働き始めます。そういう状況に遭遇しないまま一生働かずに生涯を終えるアリも、全体の1割に達するという意外な事実が著者の観察によって突き止められたのです。

Bitly

パレートの法則とは?

働きアリの2割が働いていないということは、著者がアリの巣を観察する以前から言われていました。「働きアリの法則」については、Wikipediaで以下のように紹介されています。

働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
働きアリのうち、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。
よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。
よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。
(出典:働きアリの法則 – Wikipedia

経済活動におけるこのような法則は、発見者の名前にちなんで「パレートの法則」と呼ばれています。パレートの法則は「80:20の法則」とも呼ばれるように、社会全体の2割が大部分の富を生み出しているような現象を示す法則です。

ある企業で売上の8割をわずか2割の顧客が生み出しているという例や、2割の商品銘柄が売上の8割を生み出しているというような例が挙げられます。アリの集団でも同じ法則が当てはまるとすれば、働きアリの2割が食料の8割を集めてくるということになるわけです。

パレートの法則

働きアリの法則はパレートの法則の変形で、「2-6-2の法則」とも呼ばれています。先に紹介した働きアリAからCに当てはめれば、よく働く働きアリAは全体の2割、働いたり働かなかったりする働きアリBは6割、ほとんど働かない働きアリCは全体の2割程度です。

面白いことに働きアリAだけを集めて巣を作らせても、いつの間にか同じように2:6:2の割合に分かれてしまいました。逆に働きアリCだけの集団を作らせた場合でも、その中からよく働くアリが出てきて2:6:2の割合に落ち着きます。同じ集団の中でも仕事に対する反応性には微妙な違いがあるため、どうやっても働くアリと働かないアリに分かれてしまうのです。

パレートの法則を当ブログの記事別PV数で検証

統計のイメージ

パレートの法則は企業の売上や働きアリだけでなく、あらゆる経済活動に適用できるはずです。当ブログの例で言えばよく読まれていて月間PV(ページビュー)数の多い記事もあれば、働きアリCのようにほとんど読まれていない記事も存在します。ブログ全体で月間PV数の8割が上位2割の記事で占められているのかどうか、Googleアナリティクスのデータで検証してみました。

先月(2021年8月)の月間PV数はブログ全体で約16,000、累計の記事数は8月末の時点でちょうど300を数えます。月間のPV数が最も多かったのは、愚痴聞きサービスは危険なバイト?在宅で安全に稼げるかどうかを検証という記事でした。この記事だけで月間1,730PVに達し、全体の1割以上を占めています。

その一方で月間PV数が0という記事が少なからず存在するという事実も、残念ながら認めざるを得ません。記事数全体の2割に当たる上位60記事の月間PV数を合計すると、全体の約84%に相当する13.620PVでした。若干の誤差はありますが、パレートの法則にほぼ当てはまるという結果です。

働かないアリにも存在意義がある理由

アリの世界に話を戻すと、巣全体のおよそ2割に達する「働かないアリ」にもそれなりの存在意義があります。ほとんど働いていないように見える働きアリCも、働く意欲がまったくないわけではありません。

働かないアリに意義がある』の本で詳しく解説されていますが、働きアリにAからCの違いが生じるのは「反応閾値」の違いに由来します。反応閾値というのは、仕事=行動を起こすために必要な刺激の量を示す数値です。

本書ではよく働くアリを「腰の軽い」アリ、ほとんど働かないアリを「腰の重い」アリと表現しています。腰の軽い働きアリはちょっとした刺激でもすぐに反応する性質を持ち、エサを集めたり巣を修繕したりして絶え間なく動き回っている働き者のアリです。腰の重いアリは反応が鈍く、そうした仕事を腰の軽いアリにいつも取られてしまいます。

働きアリAが疲れて働けなくなったり、非常事態発生で手が回らなくなったりした場合に動き出すのが、AとCの中間のような存在の働きアリBです。働きアリBが加わっても追いつかないほど忙しくなってから、働きアリCが最後に動き出します。一見すると生きている価値がないように見えた働かないアリも、非常時に備えた予備の労働力という立派な存在意義があったのです。

疲れたアリ

すべての働きアリがAのタイプならもっと効率的に巣を運営できそうなものですが、アリの労働力にも限界があります。アリもずっと働き詰めでは人間と同じく過労に陥り、やがては働けなくなってしまうのは当然の成り行きです。

働き者ばかりのアリ集団も過去に存在した可能性はありますが、そういう集団は進化の過程で淘汰されてしまいます。働きアリの全員が一斉に疲れ果てて働けなくなれば、エサを集めたり幼虫の世話をしたりする者もいなくなって巣が全滅するからです。

アリの世界では仕事に対する反応の鋭さ鈍さに個体差を設けることで、状況に合わせた柔軟な働き方が実現されています。普段はほとんど働かずに体力を蓄えている働きアリCが存在するからこそ、いざというときでも安心というわけです。働かないアリを養うだけの余力を持つ集団の方が環境の変化にも柔軟に対応できるため、巣の全滅を免れて種を存続できる確率が高くなります。

働かないアリを人間社会に当てはめると…

ニート

以上のようなアリの世界を見ていると、どことなく人間社会に似ているように思えてきます。人間の社会にも働かないアリと同じように、普段ほとんど仕事をしていないように見える人は少なくありません。ニートやひきこもりと呼ばれている人たちは、その代表的な例です。

外に出て働いている人たちの中にも、会社でほとんど仕事をしていない「社内ニート」と呼ばれる人がいます。『働かないアリに意義がある』で描かれた働きアリCは、まさにこの社内ニートとそっくりの存在です。

本書のコミックエッセイ版ではアリの巣を会社と見なし、女王アリを社長に、働きアリを社員にたとえています。外に出てエサを取ってきたり巣を外敵から守ったりする以外にも、自分では何もできない幼虫(新入社員)の世話も働きアリ(社員)がすべき仕事の1つです。

休みなく働き回っているアリがいる一方では、巣の中で仕事をサボってばかりいる働かないアリもいます。人間社会の会社を見てみても、社内で似たような光景が繰り広げられているのではないでしょうか?

Bitly

働かないアリはまるで社内ニート

一般にニートと呼ばれているのは15歳以上で「非労働力人口」に含まれる人のうち、専業主婦や主夫を除いて求職活動を行っていない人たちです。会社に勤務していれば本来の意味でのニートには該当しませんが、仕事がないという理由でほとんど働いていない社員は比喩的な意味で「社内ニート」と呼ばれています。

会社の経営が不振で社員全員の仕事がないという極端なケースは別として、他の社員は仕事をしているのに一部の社員だけ仕事がないという光景は珍しくありません。部下の使い方が下手な上司の下に配属されてしまった場合でも、一部の社員が仕事にありつけず暇を持て余すことになりがちです。

ヒマを持て余してる社員

筆者もかつてスーパー業界で管理職の立場にありましたが、複数の部下にうまく仕事が行きわたるように配慮するのはなかなか大変でした。細かいことによく気がつく人は店が暇な時間帯でも陳列棚の掃除など自分で仕事を見つけ、いつも忙しそうに立ち働いています。上司から逐一指示されないと仕事ができない人は、与えられた仕事が途絶えると暇を持て余すことになりがちです。

どの会社でも有能な社員はいつも忙しく働いているように見え、そうでない社員は仕事をサボっているように見えてしまいます。多忙な上司は後者の社員に対していちいち仕事の指示を与えている余裕がないため、自分で仕事が見つけられない社員は社内ニートと化してしまうというわけです。

ほとんど働いていない社員も雇用契約を結んで雇われている関係上、給料は一人前にもらっています。そのため「給料泥棒」などと陰口を叩かれやすく、神経がよほど図太い人でもなければ社内ニートの立場に甘んじていられません。そういう社員はいつの間にか会社から姿を消すのが常で、働かなくても巣の中でエサにありつけるアリとは様相が違ってきます。

働かないアリはむしろ失業者?

他のアリよりも反応閾値が高いために仕事を取られてしまう「働かないアリ」も、好きで仕事をサボっているわけではありません。反応閾値に達するほど周囲の状況が逼迫すれば、働かないアリも遅れて仕事を始めます。つまり働かないアリは働く意欲がないのではなく、仕事がないために普段は働けないでいる気の毒な存在なのです。

人間社会で言うと、会社が倒産したりリストラされたりして職を失った人がこれに相当します。与えられた仕事が自分に合わなかったり病気になったりして自己都合退社した人の例も含め、働かないアリはニートよりむしろ失業者に近い存在です。

単に職を失った状態というだけでは、失業者とは呼ばれません。働くことを希望していて求職活動をしていながら、仕事が得られないでいる人が失業者に該当します。

求職活動

失業に至った理由はその人によってさまざまですが、働かないアリと同じように仕事に対する反応閾値が高すぎる人も少なくないはずです。仕事を自分で見つけられない人は上司の評価も低く、会社が経営不振になると真っ先にリストラされてしまいます。失業者の全部が全部そういう人ばかりというわけでありませんが、仕事に対する反応が鈍い人はそうでない人より失業する確率がどうしても高くなりがちです。

そんな人でも適材適所でその人に合った仕事を与えられれば、別人のように生き生きと働き始める可能性は十分にあります。人間社会全体で見ると、失業者が常にゼロで誰もがみな忙しそうに働いているような社会は余力がありません。ある会社で人員が不足して即戦力の求人を募集してみても、職を失っていて働く意欲のある人が存在しなくては誰も応募してくれないからです。

学校を卒業した新卒者だけでは労働力の補充が追いつかないだけに、失業者は働かないアリの役割を果たします。もちろん世の中が不景気で失業者が必要以上に増えすぎてしまうと、職を求める人の全員に仕事が行きわたりません。アリの巣のように社会全体で失業者を養うだけの余力を持ち、必要に応じて労働力を提供できるようにするのが理想の社会です。

働かないアリとニートの共通点

狭い意味で考えると働かないアリはニートより失業者に近い存在ですが、人間社会はアリの巣よりはるかに巨大で複雑な集団です。もっと広い視野に立って社会全体を考えた場合には、求職活動をしていないニートにも働かないアリと同じ存在意義を見いだせるようになります。

外に出て働かず求職活動をしていないニートの人たちも、このまま一度も働かないで一生を終えるとは限りません。実際に一念発起して就職を実現したり、起業して独自のビジネスを立ち上げたりした元ニートの人たちも大勢います。

ニートと呼ばれている人たちも働かないアリと同じように、仕事に対する反応閾値が高すぎて他の人に仕事を取られている状態です。世の中にはすべての労働人口に行きわたるだけの仕事が確保されているわけではないだけに、職を得られない人がどうしても出てきます。割の良い仕事は早い者勝ちで取られてしまい、反応が遅かった人には条件の悪い仕事しか残されていないというわけです。

そうなるといったん就職しても仕事に適応でないまま脱落する確率が高くなり、ブラック企業の悪いイメージも世の中に蔓延しています。そうやって働くことに意義を見いだせない人が増えた結果、ニートの存在が社会問題とされるようになってしまったのです。

履歴書と枯れ葉

人類も自給自足の段階では働かない者を養うだけの余力がなく、自分の食料は自分で作るか見つけてくるしかありませんでした。食料の生産性が大きく向上した今になって、人間はアリにようやく追いついたと言えます。

貧しかった時代の記憶が語り継がれてきたせいか、日本のように比較的豊かな国であってもニートに対しては寛容的でありません。長期的な視点に立って集団を維持するためには、アリのように働かない者を一定割合養っておいた方が有利なはずです。進化を極めたように見える人間社会も、そういう点ではまだまだアリの社会より遅れていると言わざるを得ません。

ニートの立場に甘んじている人の中にはサラリーマンにない発想の持ち主も少なくないだけに、世の中に革新をもたらす大仕事をやってのける人が出てくる可能性はあります。会社に雇われて働く仕事には人員の枠に限りもありますが、仕事というものは必ずしも会社組織に所属していなければできないわけではありません。会社組織になじめないために無職でいる人でも、自分で仕事を作り出してお金を稼ぐ方法は数多く存在します。

さまざまな事情で家の外に出られない人でも、当ブログで紹介してきたような在宅の仕事で収入を得ることは可能です。たとえ特定の会社に所属しない働き方であっても、世のため人のためになる仕事に携わっている限りは最早「働かないアリ」ではありません。そういう可能性が与えられているのは、アリの社会にない人間社会ならではの優れた点だと言えます。

Bitly

働かないアリに意義がある理由まとめ

アリ

働かないアリに意義がある』の復刊をきっかけに、働くことの意味を改めて考え直してみました。誰もが一生懸命真面目に働く社会が理想的なのかと言えば、アリの社会を見る限りはむしろ逆のようです。

全員が全員同じようにフルパワーで働いてしまっては、もっと人手が必要になったときに対応できなくなってしまいます。社会の中で普段はあまり働いていないように見える人が一定割合で存在するからこそ、いざというときに彼ら(彼女ら)が手伝ってくれるという安心感が持てるはずです。そういう余剰人員を養っておけるだけの余力を持つ社会の方が、そうでない社会よりも生き残る確率が高くなります。

働かないアリが存在するという現在の観察結果も、アリたちが自然淘汰の荒波をくぐり抜けて生き残ってきた証拠です。今になってアリにようやく追いついた人間が彼らに学ばない限り、同じように生き残ることはできません。一個体の一生という短期的な視点では働かないアリや人間は理解しにくい存在ですが、何世代にもわたって社会が受け継がれていく連鎖の中では欠かせない存在だったのです。

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