「~することができる」が増えた理由とは?冗長表現に走る心理を解説

仕事術

近頃テレビやインターネットの記事などを見ていて、「~することができる」という表現が増えたように感じていませんか?以前から使われていた言い回しではありますが、これだけ多用されると耳についてしまいます。文法的に誤りでないとは言え、「~することができる」はできるだけ避けるべき冗長表現とされているのが現状です。

そんな言い回しをする人が増えているのはどうしてなのか、言葉の選択に関する人間心理の観点から背景事情を探ってみました。クラウドソーシングでライティングの仕事をしている人にとっても、今回の記事は必見の内容です。

「~することができる」の表現が増えている理由

筆者がこの問題を意識するようになったのは、高視聴率を記録した某人気ドラマを見ている最中の出来事です。クライマックスシーンで主人公が「~することができる」というセリフを口にした瞬間、かすかな違和感が頭をよぎったのでした。以後もテレビ番組やメディアの記事と接するたびに注意していたところ、この表現がやたらと多く使われている事実に気がついたのです。

同じ違和感はそれ以前から無意識のうちに感じていたようでもありますが、それまではあまり意識せずに自分でも「~することができる」を使っていまいた。それほどこの言い回しは日本語として広く定着しているわけですが、もともとは技術文書やマニュアルなどで頻出していた表現です。翻訳作品は別として、小説のような文学作品ではあまり使われていませんでした。

文末を「~することができる」で締めくくると、「~」の部分を置き換えるだけでどのような動作でも表現できてしまいます。「~」には何らかの動作を表す名詞や動詞が入りますが、普通は語に合わせて文末をいちいち変化させなければなりません。「~することができる」を適用すればその必要もなくなり、定型的な表現で文章がすんなり落ち着くというメリットがあります。

「~することができる」には強調表現としての効果もあるため、改まったような場面で言葉を印象づけるという意図で使われる例も少なくありません。そうした点が重宝されて多用されるようになったものと推察されますが、あまりにも増殖しすぎるのも問題です。

「~することができる」は文章術の分野で以前から冗長表現の1つに数えられ、わかりやすい文章を書くには避けるべきだとされてきました。可能な限り他の表現に言い換えるのが理想ですが、「ら」抜き言葉のように文法的な誤りがあるというわけではありません。

「~することができる」は文法的に間違いでない?

同じような「可能」の意味を示す文章表現でも、「食べれる」「来れる」などのら抜きは話し言葉として一定の市民権を得ています。日常会話の中ではある程度許容されていますが、ら抜き言葉は文法的に見ると誤った表現です。

「食べられる」「来られる」のように「ら」を入れることで動詞に「可能」の意味が加わり、「食べることができる」「来ることができる」と同じ意味を持つようになります。肝心の「ら」を省略しては日本語として正確でなくなってしまいますが、言葉は時代とともに変化していくのが自然の流れです。

同じように省略形が日本語として定着した例は数多く見られるため、ら抜き言葉を「誤った日本語」として片付けてしまうのは硬直した考え方だという意見もあります。現在では「話し言葉ならぎりぎりOK」で、「書き言葉に使うのはNG」というように使い分けられています。

一方の「~することができる」は同じく可能を示す表現でありながら、必要な語句が省略されているわけではありません。「頭痛が痛い」「あとで後悔する」などのような重複表現にも該当しないこととから、文法上は誤った表現ではないと結論づけられます。

それにも関わらず日本語としてはどことなく不自然な印象を受けてしまうのは、もともと外国語を翻訳した言い回しとして使われるようになったというのが一番の理由です。英語には「be able to」や「can do」という表現がありますが、従来の日本語にはこれに相当する言葉がありませんでした。明治以降に外国語が盛んに輸入されて日本語に翻訳された新語の中に、「~することができる」という表現も含まれていたのです。

当初は翻訳文や技術文書などに限られていた言い回しでしたが、最近はニュースの原稿やテレビドラマのシナリオにも使われるようになりました。メディアで耳にする機会が多くなると、日常会話やブログ・SNSでも使う人も増えてくるというわけです。前述のように便利な使い方ができるとあってはなおさら使いたくなりますが、「~することができる」がこれほど増殖している背景には以下のような心理が隠されていると見られます。

「~することができる」を使ってしまう心理

可能を示す言い回しとしてはら抜き言葉が一足先に市民権を得ましたが、「食べれる」「来れる」のような言い方はどことなく幼稚な印象も受けてしまいます。アナウンサーや司会者はもとより、政治家や会社の社長・学校の先生のような人たちも普通はこういう言い方をしないはずです。「ら」をきちんと入れた言い方をした方が頭がいいように聞こえるため、著名人や識者なども講演などの際には「食べられる」「来られる」という言い方をします。

それに比べると「~することができる」の方は、幼稚に聞こえたり頭が悪いように感じたりはしません。上手に使えば知的なイメージを与える効果すら持っていることから、近年になって「~することができる」を多用するようになったものと想像されます。

それでいてこの表現には動作を示す言葉に合わせて文末を変える必要がないため、考える手間を省けるというメリットも見逃せません。話し言葉でも書き言葉でも、文末表現に変化をつけるのは結構な労力です。無意識のうちに自然な文末変化ができるほどの達人でもない限り、「~することができる」についつい頼ってしまうのも無理はないと言えます。

英語にはもともと「be able to」「can do」の表現があるため、そういう言い回しをしても不自然にはなりません。日本語の場合は前述のような経緯があって、「~することができる」が定着するまで時間がかかりました。

日本語としては比較的新しいこの言い方も、受動態や尊敬語と区別したり可能性を強調したりするには便利な表現です。古くからの日本語に慣れた言語感覚からすれば違和感を覚えないでもありませんが、グローバル時代に合わせた新しい言語感覚を身につけた人にとっては自然なのかもしれません。

メディアで「~することができる」が多用されるようになったもう1つの理由

「~することができる」は可能な動作を示す言い回しですが、「可能」という状態は曖昧な概念でもあります。例えば「この教材を購入してスキルを身につければ、在宅の仕事で高収入を稼ぐことができます」という売り文句を見て、「必ず高収入を稼げる」と受け取るのは甘い考えです。

この売り文句が宣伝しているのは、あくまでも高収入が稼げるという「可能性」に過ぎません。稼げなかったとしてもその人の能力や努力が足りなかっただけの話で、教材を販売した業者の責任ではないというわけです。

この点についてはさまざまな副業について紹介してきた当ブログでも反省材料の1つですが、仕事を紹介するに当たっては確実に稼げるということを保証するのは難しい面もあります。同じ仕事をしながら能力や条件次第で稼げる人もいれば、期待したほど稼げない人もいるのが現実です。デメリットについて言及しながらも、メリットの方にフォーカスを当てた前向きな記事を書いた方が読後感は良くなります。

これは仕事の紹介やブログ記事だけでなく、あらゆるジャンルと表現メディアにも当てはまる要素です。特に日本人は集団の中で浮いた存在になるのを恐れるせいか、断定を避けて曖昧な言い方を好む傾向も見られます。日常会話でも文末をぼかしたり、「私的には~」というような言い方をする人は少なくありません。

断定表現のように見える「~することができる」の言い回しも、可能性だけを示すという点ではそんな日本人の国民性に合った表現です。断定を巧妙に回避することで逃げ道を用意できるため、いざという場合の免責にもつながるというメリットがあります。

最近は表現の選び方を間違った企業や個人が炎上を招いてしまう世の中だけに、テレビやインターネットなどのメディア側でも予防線を張ったような言い回しを選ぶのが定石です。「~することができる」もそうした予防線の1つになり得る表現だけに、便利な言い回しとして多用されるようになったものと考えられます。

「~することができる」が増えた理由まとめ

可能性を示す言い方として「~することができる」が多用されるようになった背景には、以上のような心理的事情やメディア側の事情があります。ここぞという場面で使えば可能性を強調する効果も得られますが、文字数が増えるため表現が冗長になってしまうというデメリットも無視はできません。

文章表現としてはできるだけ避けた方がいい言い回しとされていますので、Webライティングの仕事をする上では「~することができる」を使いすぎないように注意したいところです。テレビなどのメディアでこれだけ多用されるようになった中では、面倒でも文末の変化に言い換えた方がスマートだと言えます。

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