カミュ『ペスト』がコロナ時代を生きる人々に読まれている理由とは?

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新型コロナウイルスの影響で世の中に沈滞ムードが漂う中、フランスのノーベル賞作家アルベール・カミュの代表作『ペスト』が世界的ベストセラーとなっています。今から70年以上も前に書かれた小説だけに、同じような感染症をテーマに取り上げていても現在とは事情が異なる部分は少なくありません。

それにも関わらず『ペスト』が今になって多くの人の共感を呼んでいるのはなぜなのか、今の時代にも通じる作品の現代性について考察してみました。本書は医師や看護師などの医療従事者だけでなく、コロナ時代を生きるすべての人々にとって読む価値のある古典的名作です。普段から読書に慣れていない人にとっては少々とっつきにくい面のある小説ですが、事前に作品のアウトラインを把握した上で読めば少しでも理解しやすくなります。

『ペスト』とはどんな小説?

『ペスト』が書かれたのは第2次世界大戦直後の1947年で、戦争の傷跡も生々しかった時代でした。小説の舞台となったのは、当時まだフランス領だった北アフリカのアルジェリアです。国内第2の都市・オラン市でペストが発生したという架空の設定に基づき、市が封鎖される中で苦闘する市民の姿がドキュメンタリー風の硬質な文体で描かれています。

ペスト菌の感染によって引き起こされるこの伝染病は中世以降に世界中でたびたび大流行を繰り返し、大勢の犠牲者を出してきた恐るべき病気です。ネズミを中間宿主としたノミの媒介によって感染する例が多く、症状の違いによって腺ペストや肺ペストなどの種類があります。リンパ腺の腫れと痛みを特徴とする腺ペストと違って、菌が肺にまで入り込んで炎症を起こす肺ペストは新型コロナウイルスと同様に飛沫感染も起こり得る病型です。

ペストは現在でも発展途上国を中心に感染の報告があり、天然痘のように地球上から根絶されたわけではありません。1927年以降100年近く国内での感染が途絶えている日本では実感が湧きにくいですが、世界的に見るとペストはまだまだ危険な伝染病の1つです。世界の文学作品でもペストはたびたび取り上げられてきた中で、カミュの『ペスト』は古典的名作として読み継がれてきました。

『ペスト』を書いたカミュの横顔

『ペスト』の作者アルベール・カミュは1913年にフランス領アルジェリアに生まれ、アルジェ大学卒業後に新聞記者などの職を経て小説家になった人です。カミュの代表作として知られる『異邦人』は第2次世界大戦中の1942年に発表された作品で、不条理文学の金字塔として高く評価されています。カミュは1957年に44歳という史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞し、戯曲や評論の分野でも世界文学の発展に大きく貢献してきました。

20世紀文学を代表する巨匠のわりには、カミュが残した小説は『ペスト』と『異邦人』を加えて6作品に過ぎません。若くしてノーベル文学賞受賞という栄誉を得ながら寡作にとどまっているのは、1960年に不慮の交通事故で早世したせいもあります。そんなカミュは何よりも人間のモラルを信じ、宗教やイデオロギーに頼ることなく戦争や全体主義・災害などの不条理と闘った作家です。

『ペスト』の主な登場人物

『ペスト』で主人公格の役割を演じているのは医師のリウーですが、小説の語り手が誰なのかは作品の終盤まで明かされません。ペスト発生で封鎖されたオラン市で患者の治療に奮闘するリウー医師の行動は三人称の形で描かれ、小説の語り手自身も含めて余分な内面描写が排除されています。

もう1人の主人公とも言えるタルーはたまたまオラン市を訪れていた裕福な旅行者という設定で、リウー医師と親交を結びながら保健隊を組織して防疫活動に協力する人物です。タルーはオラン市で見聞きした出来事を手帳に書き残しており、小説の語り手は手帳の記述を随所に引用することでリアリティを出そうとしています。

取材でたまたま市に滞在していて封鎖に遭い、街から出られなくあった新聞記者のランベールも重要な役割を演じる登場人物の1人です。彼はパリに残してきた恋人に会いたい一心で非合法の脱出を企てながら失敗に終わり、心を入れ替えた後はリウーのよき協力者として保健隊の活動に加わるようになりました。

下級役人のグランもリウー医師やタルーに協力しながらペストに立ち向かおうとする一方で、趣味で原稿を書き溜めている小説家志望者としての顔も持ちます。リウーを取り巻く人々の多くは良識ある人物ですが、グランと同じアパートに住む密輸業者のコタールはペストをむしろ歓迎する異質の存在です。

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『ペスト』がコロナ時代に読まれている理由

『ペスト』は日本で言えば純文学に相当するジャンルの小説だけに、翻訳小説という点を別にしても決して読みやすい作品とは言えません。それにも関わらず本書が日本でもベストセラーを記録したのは、コロナ禍で世の中が混乱している現在の状況と共通点が多いからだと考えられます。1980年代に書かれた大友克洋の漫画『AKIRA』も新型コロナウイルスを予言するような内容がSNSで話題となりましたが、『ペスト』の予言性は人間の内面にまで及んでいる点が特徴です。

ペストが蔓延する街で献身的な治療を続けるリウー医師の姿は、コロナ医療を支える現代の医療従事者にも通じるものがあります。緊急事態宣言下では「ステイホーム」を呼びかける声も相次いましたが、互いに団結しながら困難に立ち向かうとする市民の姿が本書で肯定的に描かれている点も見逃せません。

その一方では封鎖生活の重苦しさやペストへの恐怖に耐えきれず、刹那的な享楽に走る人々の姿も随所に描かれています。あらゆる状況が『ペスト』とコロナ禍の現代でよく似ていることから、時代も国も大きく異る舞台設定の小説でありながら多くの人の共感を呼んでいるのです。

ペストが象徴するものとは?

カミュが『ペスト』を通して描いたのは、単なる感染症の恐怖ではないと考えられます。医療小説としての枠を超え、伝染病に託した何かを表現していると見なすのが一般的な解釈です。作品が書かれたのは第2次世界大戦が終結して間もない頃だった点を考えると、ペストとは戦争や全体主義など個人の力ではどうにもならない不条理の象徴にほかなりません。

日本で言えば東日本大震災のように甚大な被害をもたらした災害も、そうした不条理の例に含まれます。そうした極限状況の中で人々はどのように生きるべきかという深遠なテーマを感染症の恐怖にたとえ、群像劇を通じて人間の尊厳というものを示したのが『ペスト』なのです。

不条理に反抗する意味を考える

自分の力ではコントロールできない不条理とどのように闘っていくかという点が、『ペスト』に隠された普遍的なテーマです。カミュは『反抗的人間』という哲学的な評論でも書いたように、不条理との闘いを「反抗」と呼んで最も重視してきました。人間の理性を超える不条理な状況に対して、理性の力を武器として人間が対処していこうとする姿勢が「反抗」と彼が呼んだ姿勢です。

『ペスト』でも「際限なく続く敗北の連続です」と認めながら懸命の治療活動を続けるリウー医師の姿勢は、まさしく不条理への反抗そのものと言えます。タルーやグラン、ランベールなどリウーの協力者となる人物もまた、それぞれのやり方で不条理と闘い続ける人々です。

リウーは医師としての職業的責任感からペストという不条理に相対するのに比べ、旅行者としてたまたま現場に居合わせたタルーは違った動機から献身的な保健活動に身を投じます。作品の後半で明かされるタルーの過去と、自身の生き方に大きな影響を与えた事件について彼が語る長い告白は、ランベールの改心と並ぶ本書最大の読みどころです。

市民でただ1人だけペスト禍を歓迎していた犯罪者のコタールは、感染拡大が収束して市が解放された物語の終盤になって絶望的な反抗を企てます。登場人物によってそれぞれ違った意味合いを持つ不条理への反抗を考えることで、コロナ時代の今をどう生き抜くかという答えにつながるヒントも見つかるのです。

まとめ


Photo by Moleskine(2019) / CC BY-SA 4.0

『ペスト』の終盤では感染者数が激減して終息宣言が出され、鎖されていた市門が開け放たれて街が祝福ムードに染まります。一見ハッピーエンドのように思える結末にも、用心深い語り手は油断することがありません。ペストは人々の生活の中に息を潜めていると指摘し、再び活動を始める時を待っているという警告をもって物語を締めくくるのです。

そうした点に至るまで気味が悪いほど現代のコロナ禍とよく似た状況を描くこの名作が、今になって再評価されているのも当然だと言えます。新型コロナウイルスでも多くの人が同じような不条理に直面したことで、リウーたちのように助け合いながら困難に立ち向かおうとする姿が見らました。今の時代に『ペスト』が読まれている背景には、そんな自分たちと登場人物の姿を重ね合わせた読み方ができるというコロナ時代ならではの事情があります。

特に医療現場で過酷な対応を求められた医師や看護師の中には、「どうして自分たちだけがこんな苦労を背負わなければならないのか」と、理不尽に感じている人も少なくないはずです。そんなときに『ペスト』を読めば、リウー医師を始めとする登場人物たちの行動に勇気づけられるはずです。医療従事者以外の人にとっても、本書はコロナ時代を生きるヒントを与えてくれます。

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